英語ビジネスレベル最短への道 海外移住・海外就職情報

延べ5000時間以上英語の勉強に費やした僕が英語の上達法やマインドセットをシェア。現在カナダ在住。3つの国に移住した経験を活かし、海外移住・海外就職に役立つ情報を発信中。Sponsored by PronunciationPro,Lingoda.com,Grammarly

ブログにかける思い ~僕が海外で暮らす理由~

海外在住者には必ず「外国に住む理由」があります。

 

でなければ、わざわざ不便な海外で暮らそうなどとは思いません。

 

言葉の壁や文化の違いはあるし、

日本で生活するよりも圧倒的に不便を感じることが多いです。

 

海外で暮らす理由は様々です。

 

国際結婚や駐在など本人の意思と関係ない外的要因の人もいれば、

自分探しや「人生をなんとかしたい」という思いで暮らしている人もいます。

 

僕自身が海外で暮らす理由は、

「日本的な考え方がことごとく合わない」のと「子供の教育」のためです。

 

「(世の中で当たり前とされている)常識こそ正しい」と信じている人がいます。

 

日本の常識は世界の非常識と言う言葉があるように、

常識など地域や環境によって変化します。

 

「日本の常識が必ずしも正しいわけではない」ということを伝えることができるのは、

その常識に苦しめられ、様々な国で暮らしてきた自分だからこそできることだと思っています。

 

 

 

 

その常識、本当に正しい!?

僕が苦しめられてきた日本的思考をいくつかあげてみます。

 

  • お客様は神様
  • 前例踏襲
  • 年功序列
  • みんなやっているから
  • なんのためにあるのかわからないルール
  • 形だけで非効率的

 

お客様は神様である

この言葉は、多くの日本人の心を疲弊させることになった罪深き言葉だと思います。

 

詳しくはここでは書きませんが、僕のメインブログでこのことについて記事を書いたので、気になる方は読んでみてください。

 

www.theloablog.com

 

ビジネスとはトレード(価値の交換)で、両者の関係は対等です。

 

「お金を払う側が絶対的に偉い」という考え方は、

この原理原則に反することになります。

 

「金さえ払えば何をしても許される」という思想と、

「理不尽な客でも真摯に対応しないといけない」という考え方は、

多くの日本人の心を疲弊させてしまいました。

 

前例踏襲

日本人は新しいものや価値観に対する柔軟性が極めて低いです。

 

変化をことごとく嫌い、異なる価値観に対して非常に排他的です。

その一例がLCCです。

 

詳しくはこの記事のLCCの箇所を読んでみてください。

 

www.apollosblog.com

 

僕はいろんなことに挑戦したいタイプです。

 

シンガポールやカナダの会社で新しいビジネスを提案して、

立ち上げから管理まですべてやらせてもらいました。

 

しかし、同僚や先輩社員の風当たりは冷たく、

「仕事が増えるから余計なことをするな」

という圧力や全力で阻止しようとする意識が感じられました。

 

「今までは○○だったから」

 

という言葉を何度聞かされたかわかりません。

 

新しい価値観が入ってくるからこそ社会は発展し、経済は成熟します。

 

もし、前例踏襲が正しいとするならば、

未だに日本人はちょんまげ姿のサムライだらけだったはずです。

 

年功序列

年長者を敬うことに異論はありません。

(年長者だから絶対的に偉いとは思いませんが)

 

僕がおかしいと思うのは、

「年長者だから」とか「社歴が長いから」という理由だけで、

給与やポジションが決められてしまうということです。

 

会社が生き残るためには成果を上げる必要があります。

頑張っているかどうかは関係ありません。

 

「頑張っているから」という理由で評価されるのは、

中学校の部活までです。

 

スポーツの世界でも結果がでなくなったら、

どんなにベテランだろうがレジェンドだろうが、

レギュラーから外されます。

 

これからの時代は世界の企業と争う時代になります。

 

そんな中、パフォーマンスを度外視した人事評価は

時代に逆行しているとしか思えません。

 

社歴や年齢でポジションが決められてしまうのであれば、

優秀な若者は離れて行ってしまいます。

僕もそれである会社を辞めました。

 

 

みんなやっているから

他人との調和を大切にする日本文化は、世界に誇れる素晴らしいことだと思います。

 

しかし、行き過ぎた他人との調和は、個人の自由を奪うことになります。

 

「多数派の言うことが正しい」という思い込みは、

ある種の洗脳状態をもたらします。

 

日本人がマスコミに流されやすいのはそのためです。

 

他人に合わせるのはある意味楽です。

自分で考える必要もないし、他人から攻撃されることもありません。

 

しかしその反面、「自分で考える能力」がどんどん失われていきます。

 

結構昔に「鳥インフル」が流行って、日本中からマスクが消えたことがあります。

 

その理由は、テレビで「マスクをした海外の人々」の映像が何度も繰り返し放送されたからです。

 

これは「マスクをしないと鳥インフルに感染して大変なことになる」という恐怖を、

日本人の意識に植え付けることになりました。

 

でも、僕は当時その光景に強い違和感を感じていました。

 

どのニュースを見ても、どの放送局を見ても、

「マスクをした外国人の映像」はまったく同じものが使われていたからです。

 

明らかに断片だけを切り取って、

それがあたかも全体であるかのような見せ方をしていたということです。

 

鳥インフルで死者がでた」

 

というニュースが流れ、日本はさらに混乱の渦に巻き込まれましたが、

普通のインフルエンザだって死者は出るわけです。

 

マスコミの情報は意図的に情報操作されることも多く、

必ずしも真実とは限りません。

(下記記事のタイの地震被害の部分をご覧ください)

 

www.apollosblog.com

 

自分で考える能力が失われると、

こういうことに疑いを持つことができなくなります。

 

なんのためにあるかわからないルール

日本人は子供のころから数多くのルールに縛られて育ちます。

 

そのため、「○○すべき」、「○○しなければならない」という意識が非常に強く、

心に余裕のない人で溢れかえっています。

 

ルールがあることは良いことだと思いますが、

存在意義の感じられないルールまで人々に強制することは、

人間から自由を奪い幸福度を下げるだけです。

 

僕は日本で添乗員として働いていた時、

茶髪で長髪だった時期があります。

 

ある日、とある先輩社員から

 

「髪の毛を黒くしろ」

 

と言われました。

 

僕はもともと表情が暗いタイプの人間なので、

茶髪にすることにより明るい印象になりました。

 

僕としても意図があったわけです。

 

先輩にそういわれた僕は彼にこう聞きました。

 

「あそこにいる女性たちはみんな茶髪ですが、なぜ彼女たちには注意しないのですか?」

 

そういわれた先輩はこう答えます。

 

「女性はいいんだ。男は髪を黒くするべきだ」

 

すかさず僕は切り返しました。

 

「髪の毛の色に性別は関係ないですよね?

女性はOKで男性がダメな理由を教えてください。

その理由が納得いくものであれば僕は髪を黒くします」

 

先輩は何も答えることができませんでした。

 

女性は茶髪OKで男性はNGというのは、ある種の差別です。

しかも何の根拠もないならなおさらです。

 

僕は茶髪にしたことによって、クレームをもらったことは一度もありません。

 

むしろ「軽そうな見た目なのに真面目な性格」というギャップが好印象を与えていました。

 

日本にはこういう意味(根拠)のないルールが多すぎます。

 

ルールに縛られると人間は思考停止します。

 

だから、先輩のように「女性は茶髪OKで男性はNG」ということに、

何の疑いももたなくなるのです。

 

ちなみにカナダでは小学生でも髪を染めてます。

 

就活生はリクルートスーツを着ないといけないのはなぜですか?

なぜリクルートスーツは紺色でないとだめなのですか?

 

服装というのはその人がどういう人かを判断する材料の一つです。

 

服装を自由にすることによって、

面接官も就活生の人となりを判断しやすくなるわけです。

 

それでもリクルートスーツを着るのであれば、

「真面目で自己主張が少ない」という人柄でしょうし、

奇抜な服装をする人であれば、

「個性的だが、調和能力にかける」という人柄だとわかります。

 

すべての企業が従順な社員を求めているわけではありません。

 

多少クセが強くても、独創的でクリエイティブな社員を探している会社もあるわけです。

 

「就活生はリクルートスーツを着なければならない」という暗黙の了解は、

そういう学生を見つけるチャンスを阻害していることになります。

 

そして、「就活生はリクルートスーツを着るもの」という発想は、

学生たちを思考停止に陥れます。

 

面接にリクルートスーツ以外を着て行くという発想がなくなるからです。

 

形だけで非効率的

日本人は合理的かどうかということよりも、形を重要視します。

 

意味のないミーティングが代表例です。

 

ただ一方的に話を聞くだけでなんの議論もない会議や、

あれこれ話したあげく、結局「様子を見よう」という結論に落ち着く会議などです。

 

シンガポールで働いていた会社も、

「先日こういうトラブルがありました」

という報告があるだけで、それをどう改善すればいいのかは一切議論されていませんでした。

 

「それじゃミーティングの意味ないですよ」

 

と言いましたが、結局その姿勢は変わらずただの報告会と化していました。

 

ある会社では朝礼があったのですが、

「今日の業務は○○です」という社員の報告があるだけです。

 

「その朝礼って意味あるのかな?」とずっと思っていました。

 

その日の目標とか昨日の反省などあれば、まだ意味はあると思いますが、

ただ業務報告するだけの朝礼はどうなんだろうと僕は思います。

 

でも彼らにとって、「会議をした」、「朝礼をした」という形があることが重要なんだと思います。

 

形があると仕事をした気になれます。

生産性があるかどうかは大した問題ではありません。

 

でも、その時間を他の業務に充てることができたと考えるならば、

そういう「形だけ」の会議は、会社の生産性を下げる害悪でしかありません。

 

少数派が生きにくい日本

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ここまで読んできて感じた方も多いと思いますが、

僕はひねくれもので変わり者です。

 

高校は進学校でした。

ほぼ全員が大学進学します。

 

僕はあるきっかけがあり、フランス留学を志していました。

 

僕の目的はフランス留学できる大学に進むことであり、

大学に入ることではありませんでした。

 

そのため、関西地区にある「とある私立大学のフランス語学科」しか受験しませんでした。

 

同級生がセンター試験を受けている日、僕は自宅にいました。

僕にとってセンター試験は必要なかったからです。

 

大学生のときに派遣社員として添乗員(ツアーコンダクター)になったので、

僕は就職活動というものをしたことがありません。

 

「そこそこいい大学を出ているのに派遣社員になんかなって」

 

という批判をされたこともありましたが、

僕はなぜか、正社員になりたいという気持ちはまったくありませんでした。

 

その後、日本を出て海外で働くことになり現在に至ります。

 

こんな人生を生きてきたので、社会に出てからたくさんの批判や否定を受けてきました。

 

「特定の価値観に沿って生きることのできない人間は否定される」

 

その日本の閉塞感がたまらなく嫌でした。

 

海外で暮らすことは不便です。

 

でも日本で感じていた「息苦しさ」がないので、

僕は幸せに暮らしています。

 

日本人の自殺率が高いのは、

「理解してくれる人」がいないことが原因です。

 

誰にも認めてもらえない孤独感ほどつらいものはありません。

 

外国では、世界中の様々な文化や価値観を持った人が同じコミュニティで暮らしています。

 

だから、変わり者でも否定されることもないし、

受け入れてもらえないということもありません。

 

あなたがもし誰にも認めてもらえず苦しい思いをしているのなら、

一度海外で暮らしてみてください。

 

 

僕がブログを発信しつづけるのは、

自由で自立した生き方をできる日本人を増やすためと、

かつて僕のように苦しい思いをしている人を救いたいという思いがあるからです。

 

最後まで読んでいただきありがとうございます。