今日は意外に知られていない英語が話せない原因についてお話します。
まずはこの記事を読んでみてください。
この記事を読めば今回僕が伝えたいことが理解してもらえると思います。
そう、英語が話せない原因には「メンタル」が大きく関わっています。
今日はかなり自己主張の強いブログになっていますので、気分を害する人もいるかもしれません。
もし気分を害しそうになったら、すぐに読むのをやめることをおすすめします。嫌な気分になって得することはありませんので。
メンタルが英語に及ぼす影響
英語に限らずメンタルというのは、パフォーマンスに大きく影響します。メンタルブロックによって自分に制限をかけてしまうと、実際の実力以下のパフォーマンスしか発揮できなくなってしまいます。
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こう聞いたら「難しい」と感じるかもしれません。でも実際やってみると、やるべきことは意外に単純で、クオリティを必要としないのであれば誰でもできます。
「難しい」と思いこむことによって、実際よりも難しくしてしまっているのです。
(実はこの思い込みによって、大半の人は行動すらせずに諦めます)。
ビジネスも同じです。「お金を稼ぐのは難しい」と思っていると、なかなかお金を稼ぐことはできませんが、「お金を稼ぐのなんて簡単」と思っていると簡単にお金が稼げます。
英語も同じことが言えます。
英語という言語を「難しい」と複雑に考えると、難しく感じてしまいます。でも実は非常にシンプルな言語なんです。だから単純に考えればいいんです。そうすればメンタルブロックを外すことができます。
英語を難しいと感じる原因
英語を難しく考えてしまうのは日本の英語教育に問題があると思います。日本の義務教育で行われる英語というのは「学問」としての英語を学んでいます。つまり非常に実用性の低い英語を学んでいるわけです。
誰しも記憶があると思いますが、「英語は後ろから読む」と習ったと思います。アンダーラインを引いて、矢印で単語と文章を結んだりして、文章をより複雑にして理解しようとします。
でも考えてみてほしいのですが、「後ろから読む言語」なんて、どうやって話すのですか?
英語を話すときにネイティブの人たちは、逆から文章を考えてしゃべってると思いますか?
そんな神業はよほどの天才でない限りできないと思います。
逆から文章を考えているのではなくて、補足情報を後から追加しているだけです。
僕のノートにある例文を抜粋します。
Coming of Age Day is an event where new adults all over Japan will go to a Coming of Age Ceremony.
(成人の日は全国の新成人が成人式に行く行事です。)
受験英語はこういう関係詞のある文章が大好きですね。Whereにアンダーラインを引いてうしろ矢印でeventと結んで「Where以下の文章がeventにかかっている。だからwhere以下の文章から先に訳す必要がある」と説明しますが、そう解釈するからややこしいんです。
Coming of Age Day is an eventという文章をWhere以下の文章で補足しているだけです。英語は全部このルールです。
日本みたいに倒置法なんてないんです(一部例外あり)。日本語みたいに主語の省略もないです。非常にシンプルです。
日本の英語教育の弊害
上述したように日本の英語教育は「学問」つまり「言語学」としての英語学習です。その意図するところは「正しく」英語を話すことです。
本来英語というものはコミュニケーションのツールです。ですから「正しい」ことよりも「伝える」ことのほうが大切なのです。
ですが日本は英語でコミュニケーションをとるよりも、「正しい英語」にフォーカスします。
テストで点数をつけて、文章に誤りがあれば減点されます。
このメンタリティが大きなブレーキになって英語が話せなくなります。
実験
もしあなたが英語がスムーズに話せる人だったら想像してみてください。
大勢の前で英語でプレゼンをします。あなたの得意なトピックなので、スラスラと英語で説明することは問題なかったとします。何も考えなくても、次から次へと英語が出てくる状態です。
でももしそのプレゼンに台本があり、単語や前置詞のたった一つでも間違えたらダメと言われたらどうしますか?
文章を完璧に暗記し、間違えないように細心の注意を払いながら話さなければなりません。
こんな状況で英語がスラスラと話せるでしょうか?
英語はリズム言語です。頭で反芻しながら単語単位で区切ってしゃべっていたら余計に意味がわからなくなります。
間違えて当たり前というメンタリティを持つこと
僕たちにとって英語は第2言語です。間違えて当たり前です。外国人が日本語を間違えたからといって、あなたは怒りますか?それとも馬鹿にしますか?
ネイティブの人たちは世界中の英語が得意でない人たちの英語に慣れているんです。
別に間違えたからといって、バカにしたり怒ったりしません。
というかネイティブですら間違った英語を使うことは結構あるのです。
この辺は国民性の問題もありますね。
「正しい日本語」にやたら固執する人がいます。僕は正直苦手です。
日本でツアーコンダクターをしていた時、一緒に働いていたチームの一人がお客さんに「バスのほうまでお集まりください」と声をかけていました。
それを聞くなりその日の現場責任者が飛んできて「ほう、じゃない。訂正しろ」と言っていました。
正直どうでもよかったですが、あえて説明するならこの「ほう」は「あっちのほう」のほうなので、「ご注文のほうお伺いします」の「ほう」ではありません。
僕は「ご注文のほう」もまったく気になりませんが。
コンビニでおつりを渡すときも「千円からお返しします」と店員が言うと「から、じゃない」と言っている人をたまに見ますが、「小銭とお札があって、お札から先に渡すのだから、からであっていると思うけど」といつも思ってました。
敬語ができてないとかは問題だと思いますが、正直これぐらいの間違い(?)は大した問題ではないと思います。
こんな小さいことをいちいち気にしていたら、毎日気分を害することになりますよね。
許せないものの数が多いということは、それだけ自分の人生を生きづらくさせているということです。
言葉は進化している
そもそも正しい日本語とは何なのか、ということです。
前例踏襲的思考。古いものが正しくてあたらしくできたものが間違いと言えるか考えてみます。
例えば「ら抜き」言葉です。
昔の日本語は「ら抜き」言葉は存在せず、そのため現代の若者がこういう言葉を使うと「それは間違いだ」と激怒する人がいます。
「間違いである」という彼らの主張は間違っていないと思います。
でもなぜ彼らの考える日本語が必ずしも正しいと言えるのでしょうか?
昔からそうだから?
でも過去にあったものが絶対的に正しいとするならば、現代の日本人は古文にでてくるような日本語を話していないとおかしいですよね。
でも「~なり」「~けり」なんて言っている人は現代にいないと思います。
言葉は時代と共に変化しています。
だから新しい言い回しが出てきて、それが浸透して市民権を得たのであれば、もはやそれは正しい日本語と言っていいと個人的には思っています。
英語を間違えるのが怖いという恐怖
冒頭の僕のメンタルブロックもこれに近いものがありますが、「間違えるのが怖い」とか「理解できなかったらどうしよう」という恐怖を感じると、自分の実力以下のパフォーマンスしか発揮できなくなります。
シングリッシュについて以前のブログで話をしましたが、シンガポール人は英語ペラペラですが、文法や発音はめちゃくちゃです。
彼らは学校の授業を英語で受けています。だからコミュニケーションとしての英語能力は非常に高いです。
もちろん英語の授業もあり、正しい英語も学んでいます。
でも会話の時に(日本人が考える)正しくない英語を話すことに慣れているから、英語を間違えることに対する恐怖(メンタルブロック)がないわけです。だからスラスラしゃべれる。
綺麗な英語を話すことは確かにかっこいいです。
でも間違いを恐れて会話ができなかったら、本来の役割である「コミュニケーションツール」として役割を果たさないのであれば本末転倒です。
英語が話せないという人は間違える恐怖というブレーキを外すことをおすすめします。
スノボだって最初は何度も転びましたよね。でも何度もやっているうちに滑れるようになったと思います。
スノボが転ばないと滑れるようにならないのと同じで、英語も間違えないと正しい英語を話せるようになりません。
上達するためには失敗することが逆に必要不可欠なのです。
今日は以上です。
最後まで読んでいただきありがとうございます。